予告編
いやもう始まってる(笑)
嫌われたい訳ではないけど、嫌われるの覚悟で言いたい(書きたい)事書こうかな、と思っただけです。
八方美人の勧め
過去いろいろなセミナーに出たり自己啓発本を読んだりして、腑に落ちることもあれば、どの本にも書いてあるけど腑に落ちない(落としたくない?)こともありました。
その1つに
「ものすごく好かれる人は、誰かにはものすごく嫌われるものだ」
「ファンが沢山いる人ほど、その人を嫌いな人も多い」
「誰からも好かれる人は、面白みがなく、飽きられる」
「誰からも好かれようとする人は結局誰からも特別には好かれない」
とか。
嫌われるのが怖いから好かれようとする、というのは確かに違和感ありますし、苦しみながら無理して何かするのはいづれ歪みを生むでしょう。
でも私はずーっと
多くの人から好かれるのがなぜいけない?
なぜ無理やり嫌われるようなことをしたり、言わないといけない?
それは無理やり好かれようとするのと何が違うのか?
と思ってきました。
今でも無理やり嫌われることはないと思ってます。
嫌われたい?それはカッコつけてるだけか精神病んでます(笑)
嫌われても気にしない、なら腑に落ちます。
本能的に、群れの中で生き残るためには群れの仲間から好かれないと生きていけないというのほ遺伝子に組み込まれているはすです。
ただ、好かれようと無理して本当のじぶんを隠したりするのが精神上よろしくないだけではないのでしょうか?
好かれる嫌われるの問題ではなくて
無理して何かをする、のが問題なのでは?
だから、無理やり人の欠点探し、初対面の人のネガティヴな第一印象とか言わせてあげつらうワークをやらせる体育会系セミナーとか、自然にできないことをやらせるのが意味不明。
私はできるだけ人を不快にさせないように、言葉をオブラートに包んだり、批判的な言葉を控えたり自然にできるようになりたいと思ったので、ほぼなれました。
(笑)参照→なりたい人になれる魔法1,2
でも、それは全然ストレスではないです。
私には人を不快にする方が自分が不快でストレスになります。
似たような方案外多いと思います。
ただ良い子ぶってるって思われたくないから(無理やり)ストレートに、意地悪にもの言ってみたりする(笑)
昔々、バブル全盛期、忘れもしない六本木のアマンドの前でとある異業種コミュニティの仲間10人くらいの真ん中でリーダー格の女性に「あなた、誰からも好かれようと思ってるでしょ? あなたみたいな人を八方美人て言うのよ」と言われました。
六本木の雑踏が一瞬シーンとなったとあの場にいた人は言ってましたが(笑)気のせい。
私が「もちろんですよ〜、まさか◯◯さんはみんなに嫌われたいんですか⁉︎ 八方でも何方でも美人の方が良いじゃないですか〜」と真面目に答えたので◯◯さん以外は笑いで終わり。
こう書くと頭軽そう(笑) 国文科卒ですから八方美人の意味は知ってましたよ。でも今の八方美人は中国の戦国時代とは話が違いますから。周囲が反目しあってたり戦ってるわけではないし。
八方美人いいんじゃないですか?
ウマの合わない人ややたら突っかかってくる人がいても、そのままそういう人だと受け止められるなら。
(ある意味突き放してるとか気に留めない、興味ないわけで、別にいい人とか優しいわけではないのですが)
あなたのことを八方美人と呼ぶ人は多分嫉妬しています。
ちなみに悪口蝙蝠美人はいずれ孤立の運命ですけどね。
お笑い芸人さんみたいに無理して尖ろうとか、政治家みたいに対立党だからというだけで実は仲良いのにマスコミの前でだけ貶し合わなくても、人の短所やら欠点なんてどうでも良いし気にもならないのに、講師の前で無理やりひねり出したり、しなくてもいいんじゃないかな?
逆に本当はブラックなのを隠さなくても良いとは思いますけどね。
私も数時間後にジワ〜っと拡がるブラックインクを時々落とします。たまに気がついてくれる人がいると嬉しい(笑)
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